2003/05/18(日)の日記
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23:39 あらい
日曜夜終了に設定するのは危険だなぁ。
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23:25 すぎの
もうテレホタイム30分前くらいからまったくウォッチリストが開かない。鯖増強してよ!!
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21:22 maf
あさ5:20。聞いたことない声の鳥が鳴きはじめたー。
でもちゃんとカラスも鳴くんだね。
きょうはお仕事しなくちゃ。
ざんねんながら、宿にこもりきりになりそう。
早めに片づけて、風車見にいきたいな。 -
08:31 maf
ぼくもジャズ、アナログ盤で少しずつ聞いていこうと思います。
まだなんも知らないですけど。
書き込みはLAからでした。無事着いてます。 -
03:04 すぎの
深い感動。頭の中にあった断片的なジグソーピースが、瞬く間に組みあがっていったこの一週間だった。ジャズでウンチクなんて、学生じゃないのでもうほどほどにしたいけど、やはり、人を知らずして、この深みはわからない。ジャズは、ひとりひとりが、命をかけて生んだものなんだね。いままでクール以降しかほとんどまともに聞いていなかったけど、これからは、バードとそれ以前を聴いていこうかと思います。ジャズのためのジャズじゃないジャズを。
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02:57 すぎの
20世紀初頭に産声を上げた音楽が、たった70年ですべての可能性を出し尽くし、消えていった。ニューオリンズ、スイング、ビバップ、ハードバップ、クール、フリー、アバンギャルド、フュージョン、ジャズロック・・・。喜怒哀楽のための音楽が、踊るための音楽になって、音楽のための音楽になって、脱構築する対象としての音楽になって、精神世界の表現手段になって、テクニックのための音楽になって、他と融合することで生き抜こうとした。なにもそんなに急ぐ事ないのに、でも、才気ほとばしる天才たちは、命を削ってまで、前に!先に!さらなる高みに駆け上がっていき、死を前にして、およそ大衆には理解できないプライベートな表現手段となった。いわば芸術のための芸術、便器を美術館にもちこんだようなものだ。50年代以降がジャズだと思っていたのだけど、とんだ勘違い。もしかしたらバードの登場と同じくして、ジャズは自らの死を内包していたのかもしれない。ビバップという、麻薬によって。
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01:56 すぎの
「おれのベースに耳をくっつけている男をどかしてくれ。」「その男はレナードバーンスタインだぞ」オーネットコールマンカルテット@FIVE SPOT
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01:52 すぎの
「テーマはいわば安全地帯だ。その後はなにが始まるかわからない。」「これは私が書いた楽譜だ。しかし、これにとらわれる必要はない。その場で、自分で考えてくれ」オーネットコールマン
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23:39 あらい